埴生の宿       作詞:John Howard Payne(米)

           作曲:Henry Rowley Bishop(英)

           訳詞:里見 義(1824-1886)

 

左の絵は、野崎耕二「一日一絵 第9集」より借用させて頂きました。

 

1823年に作詞・作曲され、オペラ「ミラノの乙女」で歌われた。

この年、日本ではシーボルトが長崎に来ている。里見義は、庭の千草やアニーローリーの訳詞も手がけている。

 

歌詞の内容は、ひとことで言えば「粗末なれど わが家に勝るものなし」というもの。

 

1番の歌詞:

 

埴生の宿も我が宿 玉の装い羨まじ

のどかなりや春の空 花はあるじ 鳥は友

おお我が宿よ たのしとも たのもしや

 

語句の意味:

埴生の宿=埴生とは粘土質の土のこと、土で塗ったみすぼらしい家 玉の装い=宝石を散りばめたような内装 羨まじ=羨ましくない

たのしとも 頼もしや=ここがよく分からないが、宝石を散りばめたような豪華絢爛な御殿よりも、粗末ながらもわが家は、「楽しく」「頼もしい」ということかな?

 

2番の歌詞:

 

書(ふみ)読む窓も我が宿 瑠璃の床も羨まじ

清らなりや 秋の夜半(よわ) 月はあるじ 虫は友

おお我が窓よ たのしとも たのもしや 

 

瑠璃の床=宝石を散りばめたような床、わが家はそれに比べて土間に筵(むしろ)を敷いて寝るような所だと言っている。

我が家が、余りにもみすぼらしいことを強調し過ぎてるように感じます(私感)。

 

1889年(明治22年)東京音楽学校が出版した「中等唱歌集」に収録された。太平洋戦争中、敵国の曲なのに敵性レコードから除外され広く歌われた。二十四の瞳(木下恵介)、ビルマの竪琴、火垂るの墓 などの映画に使われた。

 

 

 

証城寺の狸囃子     作詞:野口雨情

            作曲:中山晋平

 

千葉県木更津にある浄土真宗 本願寺派 護念山 證誠寺に伝わる「たぬきばやしの伝説」を素材に作られた童謡。

 

この伝説は、明治38年、松本斗吟が地元の文芸誌「君不去」に紹介した。

大正8年、木更津町と君津郡の教育委員会の招きで、木更津の講演会に野口雨情が来たとき、素材を提供した。

その後、中山晋平が曲をつけ、大正14年に「金の星」に発表した。

 

たぬきばやし伝説のあらすじ

 寝ていた寺の住職がふと眼を覚ますと、月の美しい秋の夜で、外がざわついている。耳を澄ますとお囃子の音がだんだん大きくなっていく。覗いてみると、大小100匹の狸が、お腹を叩いたり、草笛を吹いたりして踊っている。そのうち住職も参加し一緒に踊りだした。

 

朝になると狸は帰っていき、夜になるとまた現れる。しかし、4日めの晩は現れなかった。本堂の周りを調べると、腹が裂けた前夜までお囃子に来ていた大狸が死んでいた。住職は丁寧に葬ってやった。

 

その後の展開

#1946年(昭和21年)NHKラジオ「英語会話」のテーマソングに替え歌「Come Come Everybody」が採用される。

 

 

#1955年 (昭和30年)米国のアーサー・キットが「Sho-Jo-Ji (The  Hungry Raccoon)」の題名でカバー。歌詞内容はめちゃくちゃ。

 

#木更津駅の発車メロディ

 

#マンホールの蓋(上図)